「日本城検定」の特典がスゴい
いよいよ城ブーム到来!「日本城検定」が開催されます。
6/29までに申し込むと、超豪華な執筆陣によるオリジナル小冊子がもらえます。
小和田哲男先生、中井均先生、三浦正幸先生、加藤理文先生、春風亭昇太師匠などなど、
なんという豪華なラインナップ!!
…で、おこがましすぎることに、実は私も名を連ねさせていただいております。
私の登場はどうでもいいですが、
お金を払ってでも読みたいプレミアムな小冊子なこと間違いなしですね。
お城を正しく楽しく学ぶのにもってこいの参考書籍ですし
お城ファンのステイタスになりそうな検定です。こぞって受けましょっい。
私もこっそり受験します(笑)
ちなみに、実は検定ロゴのディレクションも担当させていただきました。
OFFICE 46megは制作も承っております。
※サイトやコピーはノータッチです
詳細&申し込みはNPO歴史のかたりべさんのHPへ→ ★
「城メグリストと行く!!新発見!お城入門」参加者募集中
かれこれ1年以上お休みさせていただいていた
ビギナー向けお城めぐりツアー<城メグツアー>が、パワーアップ!
阪急交通社「@時遊人」さんのツアーに登場することになりました。
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「城メグリストと行く!!新発見!お城入門」
第1回 江戸城(5/26、6/9、7/19 ※催行決定)
第2回 八王子城(9〜10月予定)
第3回 忍城(10〜11月予定)
約2.5時間の散策&ランチ付。第1回江戸城ツアーはお試し価格です☆
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江戸城は日本一のお城。さて、何が日本一なのでしょうか?
そのミステリーを解くヒントが、城内のいろんなところに隠されています。
どんなヒントがどこに眠っているのか、レジャー気分で探しにいきましょう。
全国のお城めぐりに応用できるお城見学のポイントもお話します。
●詳細・お申し込み・お問い合わせは阪急交通社さんのサイトから→ ★
たくさんのご参加、お待ち申し上げております。
【WORK】男の隠れ家
2012年4月27日発売の雑誌【男の隠れ家】6月号でコラムを2本書かせていただきました。
「時代小説と城」というコラムの「火天の城」&「天地人」です。
コンビニにも置いてある雑誌なので、見かけたら立ち読みしてくださいませ。
天下統一!城攻めナイト
「全国城攻め手帖(メディアファクトリー)」発売記念イベント
天下統一!城攻めナイトに行ってきました。
ゲストはいまあ城好き著名人の筆頭、春風亭昇太師匠。
スライドを使ったトークショー、かなりわかりやすくて会場が一体化してました。
昇太師匠は本当にいつも楽しそうにお城の話をなさいますね。
当たり前すぎて失礼ですが、トークのテンポがすばらしくて時間を忘れるほど話が楽しい。
山城なんて知らない人でも、なにやらワクワクしてしまうのも納得です。
私も少しは表現力をつけたいものです。
ちなみに昇太師匠、「城好きの人」というムード歌謡でCDデビューするそうです(笑)
小田原城・惣構見学ツアー
「小田原城天守閣木造化を考えるシンポジウム連携プログラム
小田原城・惣構(大外郭)遺構見学ツアー」に参加させていただきました。
あの小田原城の「惣構」を歩けるとは、なんてすばらしい企画なんだ!と勇み足で。
「惣構(そうがまえ)」なんてお城好きでなければ心躍りもしないワードでしょう。
外堀のそのまた外側の外郭、つまり城下町も含めてぐるりと取り込んで覆った防衛線のことです。
小田原城の惣構の総延長は約9km(12kmとも)にも及び、
その規模は中世城郭ではぶっちぎりのNO.1、近世城郭でも江戸城に次ぐNO.2。
城下町までを城域として経済都市をつくり上げれば
たとえ敵が攻め込んでこようとも、国としての機能はすぐにはストップしない。
物資を遠方から運び込まなくても、自給自足の生活だってできてしまう。
1590年の豊臣秀吉の小田原城攻めで、
圧倒的に兵力が劣りながら3ヶ月も籠城に持ちこたえたのは、惣構のおかげでしょう。
(ちょっと過信していたのが敗因でしょうけど)
小田原城というと桜の名所、関東には珍しく天守のある城、くらいのイメージかもしれませんが、
中世屈指の築城技術を持つ後北条氏の本城。
そのあたりの秀逸さが全く知られていないのはちょっと残念ですね。
意外と残っていた、惣構の遺構。
パーツは見応えがあり解説も興味深かったのですが、縄張図がなかったのが残念。
城ファンとしては、縄張をきちんと見たかったです。
広大なだけに距離感がつかめませんし、地元民でないので位置が不明でした。
本来の目的であるはずの<天守の木造再建化>について一切話がなかったのは残念でした。
前日のシンポジウムでお話があったのかもしれませんが、
なぜ木造化を目指すのか、必要性や問題点を私は聞きたかったです。
そもそも天守再建の重要性を理解してもらわないことには
木造だろうが鉄コンだろうが協力を得られないと思うんですよね。
城の保存維持事情は、興味のある人とない人の温度差が激しいですもん。
桜がキレイでございました。
大嶽城おまけ〜虎御前山城
大嶽城ウォーク→ ★ の前に、虎御前山城に寄ってきました。
本気の登山の前に軽い登山をしてみた私、我ながらタフだなと思いました。
他の参加者の方にたいそう驚かれましたとさ。
とはいえ時間がなく織田信長の陣後まででリターン。
晴れたり霙が降ったりの気まぐれな天候にもてあそばれ、ぐちゃぐちゃになって帰ってきたのでした。
虎御前山城は織田信長が小谷城攻めのとき本陣とした城ですが、
よくもこんな目と鼻の先に陣取ったもんです。
もうこの時点で、勢いは圧倒的に信長が勝っていたんでしょうね。
その状況下で数年持ちこたえた小谷城の防備力の高さに感嘆すべきか。
このお城、小ぶりですがなかなかよいです。軽い気持ちで行くのにおすすめの山城です。
大嶽城おまけ〜長浜グルメ
大嶽城の帰り道、
お城がご縁で知り合った名古屋から参加のお仲間と、3人で長浜に立ち寄ってきました。
一緒に大嶽城を登れただけでも楽しかった上に、グルメツアーまでできてサイコー。
やっぱりお城めぐりにグルメはつきものですね。
またまた登場の大好物!長浜の郷土料理・焼鯖そうめん。
何度も言いますが、なぜ焼鯖そうめんが全国区の絶品にならないのか不思議です。
全国区どころか、滋賀県内でも湖北限定ですよね。彦根や安土ですら見ません。
この味を東京で再現できたら大ヒットすると思うのですが。
…というか東京でも食べたい!
奥のしじみの佃煮も激ウマです。ありがとう、琵琶湖。
こちらサラダパンは、長浜で大人気というローカルフード。
マヨネーズで和えた刻みたくあんがサンドされています。
陳列棚の充実っぷりに人気の高さを感じますね。
気になるお味は…1個でいいです。1個は完食できます。
(私はマヨネーズもたくあんも苦手なもので…好きならおいしいのかも?)
そして私の「名古屋駅ホームの噂のきしめんを食べたい!」
という私の小さな夢も叶えてくれました。
わざわざ新幹線を途中下車すつ価値があると話題の、人気NO.1の住吉のきしめん。
ホームの立ち食いそば屋なのに、天ぷらはオーダー後に揚げてくれるのね。
うみゃーでした。
焼尾砦〜大嶽城ウォーク
小谷城下まちめぐりウォーク実行委員会さん主催の
ウォーキング・ツアー「信長の小谷城攻城ルートー焼尾砦から大嶽を攻略するー」
に参加してきました。
念願の大嶽城。いやー、楽しすぎました!!
こんなに素晴らしい城とは思いませんでした。
こりゃ、もはや小谷城なんかどうでもいいですよ。…ってくらい。
小谷上山田から北西の尾根上にある砦・焼尾丸を経由して本丸を目指し、
福寿丸、山崎丸、御屋敷跡ぐるり。なかなか本気なコースです。
専門家のお話も聞けて大満足。
ウォークというよりアドベンチャーな感じに。。
いいですねえ〜。いかにも中世の山城です。
織田信長は、暴風雨の中ここを通って朝倉義景を追撃したことになっていますが、
地形が多少変わっているとはいえ、甲冑姿でここ通れたのかは疑問です。
標高495m。
浅井長政が小谷城としたのは小谷山中間部にある南東の尾根で、
現在小谷城として一般の観光客が登城するのはこの部分です。
しかし小谷城のある小谷山はものすごく大きな山。
つまり小谷城は小谷山の一角で、背後のピークに立つのが大嶽城というわけです。
築城時は大嶽が本丸でしたが、長政の頃は支城という位置付けでした。
この山が支城にすぎないとは、スケール大きすぎです。小谷城恐るべし。
「丁野城と中島城はこの立ち位置なのか」
「虎御前山城って、大嶽城から見るとこんなふうに見えるのね」
「小谷城の横顔も、全然表情が違うんだなあ」
…と、スケールの大きさを実感できたことや、合戦時の城の距離感を実感できたことに感動でした。
私はゲームをやらないのですが、きっとこれはゲームと同じ感覚なのだと思います。
ああこういうふうに連携するんだ、とか、こういう立地だからこんな戦略を立てたんだな、とか。
遺構を発見したり、目に見えるものを探し確認し連想させることも楽しいですが
こういうタイムスリップ体験が、やはり城あるきの醍醐味ですね。
小谷城最中をおやつに頂いたのがうれしくて、記念撮影に登場させてみましたが、
そんなことをしているのは私だけだったみたいです。
(ちなみになぜか五重天守のフォルムですが、小谷城に天守はありません…)
ランチタイムには、リンゴや黒蜜きな粉固め?を配ってくださってうれしかったな。
距離感がちょうどよくて、適度におもしろい滋賀人、やっぱり好きです。
高橋さん、お心遣いありがとうございました!
思い出に残る素敵な1日でした。また参加させてくださいね。
【WORK】なるほど!よくわかる英国王室の歴史
洋泉社さんから2012年3月26日に発売された【なるほど!よくわかる英国王室の歴史】に
ちょこりと執筆させていただきました。
今年はエリザベス2世の即位60年のメモリアルイヤー。
ウイリアム王子の結婚、オリンピック開催など、英国&英国王室は大盛り上がりのようです。
私が得意なのは日本史のみ。
ですが、逆にすんなり入れて、楽しく書かせていただけました。
もともと私はノンジャンルですし、知らない世界に出会うのは楽しい。
今さらながら…
日本史に限らず歴史や物事を段階的に追うことが好き&得意なのだ、ということに気づきました。
なんというか、隠し持っていた特技を発見&再認識した気分です。
それにしても、英国王室のみなさんはややこしい!
スコットランド王ジェームズ6世が初代イングランド王ジェームズ1世になったり、
ジェームズ1世の子なのにジョージ1世だったりして、
「なんで名前変わんねん!お前誰やねん!」と喋れない関西弁を発したくなります。
しかし、日本史上の人物にも同じことがいえるわけで、
よく「武将の名前が似ていて覚えられない」などと耳にするのは
なるほどこういう感覚なのだと謎が解けました。
歴史をすんなり理解するプロセス、わかりやすくまとめるポイントとは何かを
フラットな頭で考えるいいきっかけになりました。
日本のスケールが小さく、年表がみちみちした短期間集中型な歴史であることも再認識。
イギリスが戦争したり侵略したち文化や産業を発展させたりと激動する中、
「日本:鎖国中」の1行で済んでしまうこじんまりさ(笑)
それにしても、英国王室のみんなってば、やんちゃ。
ダイアナ元皇太子妃の事故死、チャールズ皇太子の不倫&再婚報道に
「なんてスキャンダラスなんだ!イギリス王室は崩壊寸前か?」などと思っていましたが、
歴代の王族達は、そんなことは序の口の暴れん坊っぷりです。
欲望のままに生きる民族なのか?
恥ずかしながら、日本の皇室と同じ正統派なイメージを持っていた私には
衝撃の連続だったのでありました。
大人計画【ウェルカム ニッポン】
愛して止まない大人計画の久々の本公演へ行ってきました。
うーん、わからなかったー!(笑)
エネルギッシュではあったけれど、
私の今日の心理状態では奔放すぎてついて行けなかった。。
確実なのは(毎回共通の総論)、
舞台上の阿部サダさんはやっぱりまぶしすぎるということと、
俳優をしているときのクドカンはかっこいい、ということです。
私はまだ、この震災の触れ方にはちょっと抵抗があったかな。
いや、けっして軽率な扱いというわけではないですが。
しかし、それこそが松尾節というか、
しょうもないことでゲラゲラ笑い転がせられた直後に
ちょっと嫌な気持ちにさせられたりするのが、ある意味いかにも、なんだな。
人間の歪みや暗い部分に直面するのは、ものすごく重い。けどおもしろい。
江戸時代の脳トレ<判じ絵>
最近ちょいと江戸の歴史や文化を勉強しているのですが、
先生が頭の小休止として出題してくれる<判じ絵>がおもしろい。
判じ絵とは、半単語の音を絵に置き換えて表現するもの。
たとえば、トップphでいうと、
8番→「2本(にほん)」の「橋(はし)」に濁点がついて「日本橋」、
9番→「8(はち)」匹の「蝶(ちょう)」+「“のぼり”の上が切れているので“ぼり”」で
「八丁堀」、という具合です。
なぞなぞ好きな江戸っ子の茶目っ気たっぷりの知的娯楽。
笑えるものから、あまりのくだらなさにイラッとするものまでいろいろだけれど、
江戸時代の人は頭がやわらかかったんだあ、と感心。
必要なのはカンとユーモア、かな。
最初はまったくわかりませんでしたが、慣れてくるとひらめいてくるからフシギです。
代官山の手ぬぐい屋さん「かまわぬ」も判じ絵。
「鎌(かま)」+「輪(わ)」+「ぬ」。「へのぬ」じゃないですよ。
江戸っ子は教養が高かったこともわかりますね。
読み書きができなければ、こんな高度な言葉遊びはできませんもん。
江戸しぐさと落語の会
<江戸しぐさ>とは、江戸商人が生み出し町衆へ広まっていった、
トラブルを避け、気持ちよく暮らすためのセンス。
日常の立ち居振る舞いから言葉使いまで、人との付き合い全般にわたる知恵のことです。
雨の日、狭い下町の路地でがすれ違うときには、
相手が濡れないよう、お互いに傘をさりげなく斜めにする<傘かしげ>、
船に誰かが乗ってきたときは、全員が少しずつ詰めて席をつくる<こぶし腰浮かせ>、
足を踏んでしまったら、踏んだほうが謝るのはもちろん、
踏まれたほうも「こちらこそ、うっかりしてまして」というそぶりで返す<うかつあやまり>。
「へえ、こういう心配りができたら上品でいいなあ」くらいに思っていたのですが、
商人のリーダーが築いた行動哲学であるというルーツを聞いて納得。
上に立つ人のマナーやエチケット、自意識や心構えが網羅されたものであるのだと。
そこには徳川家康がつくりあげた国家構造も関係していて、ふむふむと聞き入ってしまいました。
江戸しぐさでいう“しぐさ”とは、「仕草」ではなく「思草」と書くそう。
つまり、思いやりが行動となったものです。
人にして気持ちいい、してもらって気持ちいい。共生の精神ですね。
そして、マナーではなく“くせ”だというところがポイント。
譲り合いの心を大切にし、自分は一歩引いて相手を立てる。
いばらず、こびず。相手を尊重し対等な人間同士として接することを
ごくごく自然に実戦していた、ということなんですね。
こうすればいい、こう言うべき、というマニュアルを実戦するのではなく
とっさに判断して無意識に行動する。これはけっこう難しい。
ちなみに江戸っ子の気質というのは
○目の前の人を仏の化身と思う
○時間どろぼうをしない
○初対面で肩書き、年齢を聞かない(人を見る目を養う)
○遊び心を忘れない(なぞなぞ大好き)
○世辞が言える
○口約束を守る(公約違反はもっともNG)
○見て分かることは言わない、読んでわかることは聞かない
○人の領域に入らない(餅は餅屋)
○知識ではなく感性で決める(情報に左右されない)
…などなどだそうです。
ものすごく共感できるのは、私が東京出身だからでしょうか?
(代々の江戸っ子ではありませんが)
上方との違いが出ているような。。
江戸っ子というと威勢がよくてちょっとガサツなイメージもありますが、
言葉使いがていねいで、“世辞”を言えるのが、本来の江戸っ子。
この“世辞”というのは、機嫌を取るためのおべんちゃらではなく、
「こんにちは(今日は)」の後に続く「いいお天気ですね」のような
会話が弾むきっかけになるような、気の効いたひとことのことだそうです。
なぜこの日記タイトルかというと、
<落語には江戸しぐさをテーマにしたものが多い>ということで
三遊亭竜楽師匠の『天災』を聞く会でもあったから。
しかし長くなるのでこの話は割愛します。
お後がよろしいようで〜(←これも江戸しぐさ)。
【WORK】池田書店「城の楽しみ方完全ガイド」
池田書店さんから2012年3月に発売された
新刊「城の楽しみ方完全ガイド」執筆させていただきました。
図書館にも在庫している、池田書店さんの <楽しみ方完全ガイド>シリーズのお城版がついに登場。
わかりやすく、楽しみ方のポイントが簡潔にまとめてある入門書です。
昨年書かせていただいた【歴史を訪ねる 城の見方・楽しみ方】 → ★ と同じく小和田哲男先生の監修です。
【歴史を訪ねる〜】よりも初心者向けのラインナップで、表現もやさしくなっております。
全国の書店、ネットショップで発売中。
ぜひご覧下さいませー。
小池アミイゴさん個展「東日本」
小池アミイゴさんの個展「東日本」へ行ってきました。
前職で何度かイラストのお仕事をお願いしたアミイゴさん。
イラストも素晴らしいけれど、この世界もかなり好きだなあ。
「違う表現をしていかないと凝り固まってしまうから」と。
アートな作品というのは、使う脳が違うのでしょうか。
アミイゴさんの使う色、とくにピンクの色と使い方がとても好きです。
色や線にも生命があるんだなあ、とかぼんやり考えながら見ていました。
絵筆のひと刷毛に強さや弱さ、エネルギーやシンパシーが宿っている感じ。
「印刷で出にくい色」と真っ先に考えてしまうのは職業病ですが、
印刷物やディスプレイで再現できない色というのは、
すなわち人間に近い体温のある色、ということなのではないでしょうか。
これは書いていいのかわかりませんが…
「城の絵、描いてみたい」と言ってくださりうれしかったなー。
「きれいというより怖い」というなにげない一言、かなり核心をついてます。
そう、城とは本来美しいものではないのです。
その視点は感動的なものがあって、
「ああ、やっぱりこの方はアーティストなんだなあ」と思いました。
アミイゴさんが書く城の世界かあ!それはそれはステキだ。がんばろ。
SPECE YUIさんのHPから、作品の一部を見ることができます → ★
やっぱり印象が違うので、実物を見てほしいところですが…
うづめ飯
津和野で、郷土料理の<うずめ飯>なるものを食しました。
お出汁をかけたごはんの下に、煮含めた椎茸や人参、刻まれた蒲鉾や高野豆腐が隠され、
刻んだせりとすりおろした根わさびが添えられています。
質素倹約の時代に具を隠して食べた庶民食であるとか、
骨をうずめるという意味で出された婚礼料理であるとか、
根わさびを味わう特別料理であるとか、など諸説あるようです。
しみじみした料理だけど、なにげにおいしい。
特産わさびがピリッと引き立って、
日本酒を試飲しまくった後にはかなりよい感じでございました(笑)
無念の津和野城
なかなか行けない津和野城へ、思い切って寄ることに。
しかし、駅に降り立ったら、この豪雪!!
津和野の代名詞でもある、風情ある街並み。
雪化粧が趣をアップ…を通り越して、視界を遮断。大名屋敷門も見えないー。
水路を悠々と泳いでいるはずの鯉も、逃避中でした。
でも、雪は好きです。きれいだね。
日本五大稲荷のひとつに数えられる太皷谷稲成神社。
トンネルのような朱塗りの鳥居をくぐっていきます。
途中、津和野の城下町を一望できるはずなんですが、雪であんまり見えず。
うすうす分かっていた(というか途中から確信していた)けれど、津和野城は登城禁止。
微動だにしていないリフトが出迎えてくれました。
午前中の段階ですでに積雪30cmを超え、散策できる状況ではないとのこと。
もともとリフトではなく登山道で行こうと思っていたのですが、道すら埋まっていると。。
なんとか行けないものかと聞いてみましたが、
「べちゃっとしとるけん、雪だるまつくれんなー」と、さっきまでかわいいことを言っていたおじいさんに
「あんた、死ぬよ」とやや真顔で言われたので、諦めました。
移築現存の馬場先櫓、現存の物見多聞櫓を見学。
遠巻きに津和野城を見ながら城下町を歩くだけの、切ない思い出になりました。
月山富田城&十神山城
米子までびゅーっと移動して、安来の月山富田城へ。
ものすごく快晴に見えますが、晴れたり雪降ったり、常に暴風だったり。
今日こそ七曲がりを制覇してやろうと思っていましたが、またしても断念しました。
行こうと思えば行けましたが・・・前回20分以内にマムシ2匹と遭遇し、完全にビビってます(笑)
ここはベストコンディションじゃないと気持ち的にムリ。。
日没まで時間があったので、十神山城へ寄ってきました。
尼子十砦のひとつだそうですが、だいぶ整備されちゃっていましたねえ。
安来港を見下ろすような、海に突き出る城なのですが、現在は木が邪魔して眺望は悪し。
陸地よりも5、6歩前に出ていて、
迫り来る敵を真っ先に蹴散らしてやるぜー、みたいな雄々しさは感じられました。
写真はないですが、車でぐるぐるしたところ、北側はさらにせり出すようになっていて迫力あり、でした。
鳥取城フォーラム2012 太閤ヶ平見学会
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鳥取城フォーラム2012
『中井均先生と歩く 鳥取城&太閤ヶ平』
講師:中井均先生(滋賀県立大学人間文化学部准教授)
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前日の講演会に次いで、中井先生による現地見学会。
天気予報:暴風雪で中止が危ぶまれましたが、無事催行。中井先生、さすが晴れ男です。
ちなみに“暴風雪”という気象用語があることを、初めて知りました。
登る前に、資料を見た段階で、70カ所にも及ぶ膨大な数の陣城が存在し、
そして状態よく残っていることに驚愕。
発掘と研究をされている西尾先生が
ポイントや特長、位置関係などをご丁寧に教えてくださり、もうゾクゾク。
「2、3日あればひと通り行けますよ」とのこと。うーん、まわってみたい!
全部はムリでも、とにかく最大の見どころである
複数の空堀でつながれた総延長700mの大防衛ラインは必ず見に来ねばなりませぬ!
どうやって鳥取城が孤立していったのかを知り、
織田vs毛利の全面直接対決の背景を城から知りたい。
中井先生のお話に夢中だったこともあり、あまり写真を撮っていません。
が、段々状に残る小さな曲輪は肉眼で確認できるし、次第に規模を増す土塁も見事。
懸造の建物があったであろう場所(陣城に!)、横矢掛がりの虎口、絡手口の切岸。
縄張図をもとに歩いていくと、感動的です。
「こんなに大規模な遺構が残っているとは思っていませんでした!
ここはもう“城”ですね!」と、先生にコーフン気味に感想をお伝えしてしまいました。
単なる一城を攻略するには大規模すぎる太閤ヶ平は、
やはり織田vs毛利の決戦のための陣城だったといえるだろう、とのこと。
ガッチリと設置した大防衛ラインのそのまた上に、異常なまでの土塁群を重ねて防衛設備を構築。
本陣の一時的な陣城とは思えない構造から推察しても、
信長本人が出陣するための地だったことが考えられるそうです。
トップの写真の背後に見える山が、吉川経家の本陣久松山。
当時は木のないむき出しの状態のはずなので、兵糧が尽きていく経家側の様子は、少し見下ろす形で一目瞭然。
500mほどしか離れておらず、逆に秀吉側が煮炊きする様子は丸見え、音も丸聞こえだったと考えられます。
こうした視覚的な攻撃が、心理的にも追いつめていったはずです。
帰りは、市民の方も少なかったので、先生とお話しながら下山しました。
昨日の日記でちらりと書きましたが、そこでお話したのが、
講演会で先生の言葉の中で印象的だった、「戦国時代は“戦争の時代”であった」ということ。
そうなんですよね。戦、武将とドラマチックでカッコいい時代のイメージにされてますが、
実は日本史においては、日々血で血を洗う暗黒の時代。
そういう意味で、城とは負の遺産。
たとえば、信長が楽市楽座を推奨したのは、
城下町を活性化させて、貨幣を流通させて、庶民の生活が活発化した、
なんて見方をしがちですが、根本は違うところにあるのですよね。
信長は行ったのは、富を制すること。要は、軍資金を稼ぐことが目的の経済政策。
「これからは鉄砲の時代だぜー!」と思いついたところで、
鉄砲を大量購入する資金とルート、それを使いこなす技術と軍事力がなければ成功できないわけですから。
さらに、先生曰く「軍隊を鍛えて、訓練する場所」でもあるそう。
当時は、平和とはほど遠い、巨大な基地のようなはずだったと。なるほどー。
城下町でいわゆる芸術という意味での文化が発展するのは、
江戸中期以降の、本当に戦のない太平の世になってからのこと。
つまり武士にやることがなくなってから、なのですよね。
なぜか勝つと正、負けると誤、とまとめられる傾向にあるけれど、
結果で端折らず、リアルで冷酷な日常があったことにも目を向けていきたいと思っています。
そこに真実があって、発展もあるのだから。
城というのは、今となってはなんとなくそこにある気がするけれど、
ときにはあるものを最大限に生かしながら、ときには形を変えながら、
よくぞまあ、というくらいにうまく活用してできている。
その断片を探していくのがなにより楽しいし、その背景を知ることは貴重な気がする。
まだまだ謎だらけだけれど、先生のお話を聞くことで紐解けることもあったりして、
そういうところが、城マニアをやめられない理由です。
もちろん、お城のお話もたくさん聞かせていただきつつ。
ちょっとした質問にも、丁寧に答えてくださるのがうれしい。
城マニアとしての立場と、研究者としての立場があるため、
日々さまざまな葛藤がおありになるようです(笑)
鳥取城を散策
鳥取城フォーラム講演会終了後、2日目の見学会に先立ち、鳥取城へ登城してきました。
というのも、連日の雪により、
久松山鳥取城本丸(吉川経家本陣)→山道(十神砦)→本陣山太閤ヶ平(豊臣秀吉本陣)
という本来のコースから、
鳥取東照宮から太閤ヶ平を目指すルートに変更します、と事前に連絡があったから。
広大な中世城郭と、改築された近世城郭が共存する鳥取城。
時間も限られていたので、城下町の面影もなんとなく散策しつつ、近世城郭の部分を散策。
南御門、中御門、北御門と通り、二ノ丸、天球丸を見てから、標高久松山山上の丸(本丸)へ。
近世城郭とはいえ、山上の丸への登城道はけっこう本気。
夕方から軽い気持ちで登るにはそこそこハードでした。
3、4、5合目の中腹は、大規模な櫓台がある華やかな雰囲気とは一変して
中世城郭らしい、「ただの山じゃん!」状態が続きますが、
6、7合目くらいから、少しずつ様子が変わり、石が現れてきました。
中井先生に聞いたところ、このあたりから石を切り出して本丸へ運んでいたのだろう、とのこと。
なるほどー。
宮部継潤の時代だとしたら、1580年以降か。まだこんな山上に天守を置いたんだなあ。
中世の山城だっただけあって、山頂ビューは見事!
お天気がよかったらサイコーでしょう。鳥取砂丘もよーく見える。上から見ると以外とちっこい。
経家時代の物資補給路の方角なども見やりつつ、いろいろ想像したりして。
うーん、もっと時間をかけて見たかったな。
とはいえ、近世城郭のエリアにも見どころいろいろ。
書いておきたいですが、レビューは改めて。
ところで鳥取城といえば、吉川経家公の銅像。
<笑点>の前司会でおなじみ、5代目三遊亭圓楽師匠は吉川経家公の末裔なのですが、
なんとな〜く、とくに口元が顔が似ているではありませんか(笑)!
・・・と思ったら、圓楽師匠をモデルにしているそうです。あはは。
鳥取城フォーラム2012 講演会
不動産セミナーではありませんよ!
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鳥取城フォーラム2012
講演会 ~史跡鳥取城跡保存整備実施計画策定5周年記念講演会~
『現地検証・秀吉の鳥取城攻め』
講師:中井均先生(滋賀県立大学人間文化学部准教授)
会場:とりぎん文化会館
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へ行ってきました。
鳥取城といえば、三大城攻めのひとつともいわれる、秀吉の<渇え殺し>の城。
しかし、「この場所でこんな戦があったんだぞー」という薄っぺらい内容ではなく、
研究者である先生の豊富な知識と考察をもとに、
陣城とは何か、なぜ陣城を用いた包囲戦が多用されたのか、
かつての合戦や古文書の記述をもとに、そのあり方や構造、進化などを追いながら
鳥取城における太閤ヶ平の存在意義と中国攻めについても考察する、
とてもとても引き込まれる講演会でした。
四国・九州にはなぜ陣城がないのか。そんな謎も解けてほう、と納得。
以前、鳥取県県立公文書館 県史編さん室の方から
鳥取城の兵糧攻め以前の、いわゆる7つの支城攻略について聞いたことがあって、
実に巧妙な戦略に感動すらしたのですが。
なるほどなるほど、そのあたりの話とも私なりにつながる部分がありました。
秀吉という人は城攻めの天才なのだけれど、
自分の兵力温存に徹して極力ダメージを減らすという戦い方を編み出した人でもある。
しかし、もちろん主君・信長に認められて出世するためには、
ある程度華やかな武功を挙げなければならないわけで。
先生の話されるエピソードから、秀吉の新しい側面を見た気もしました。
城を通して見る秀吉像には、悪くいうとしたたかさ、よくいうと賢さがある。
アピール力と演出力(でもうわべだけでなく筋がキチンと通ったもの)も必要なのは、
現代にもつながる処世術の大事なファクターというところでしょうか。
歴史を知る=年表のように断片的な事実を追う、になりがちですが、
そこに人が関わる以上答えなどないし、想像することに醍醐味がある。
発想の転換や対処策など、自分に置き換えると学ぶことも多いです。
とくに城は、人が苦難の状況下で、どうにかしようと知恵と工夫を絞り出して具現化した跡地。
やっぱり、城はおもしろいなあ!
歴史のすべてには理由があって、そして必ず繋がっているのが魅力なんだな。
パズルのピースをはめていくように、ひとつひとつ解明されていくのがおもしろい。
たまに、なんとなくしかハマらないピースがあったり、
図柄がはっきりしないピースもあったり、差し替えピースが見つかったりもする。
約2時間、みっちり中井先生のお話を聞けて大満足。
講演会だけでも鳥取まで足を運んだ甲斐がありました。
そしてそう遠くないうちに【信長公記】が読めるよう勉強しようと思ったのでした。
しかし、200人の定員を優に超える大盛況で、最近の城郭に対する関心度の高さを再認識しました。
あ、今日も間違いなく最年少です(笑)
鳥取城フォーラムは講演会のみならず、翌日の現地見学会もあるという素晴らしい企画。
鳥取市教育委員会文化財課さんは、陣城の発掘と整備を精力的にされていて、
今回の企画も、先生が昨秋にすべての陣城を歩いたのがきっかけだそう。
鳥取市歴史博物館名義で出版されている冊子も、わかりやすく、読みごたえがありました。
見学会では講演会のことも含め先生とお話ができました。
このあたりのことは、見学会の日記に改めて書こうと思います。
若桜鬼ケ城&防巳尾城
鳥取城フォーラム2012に先立ち、
鳥取市内から車をぶっ飛ばして若桜鬼ケ城へ行ってきました。
鳥取城、鹿野城と並ぶ因幡三名城のひとつ。
播磨・但馬との国境という位置関係と当時の動向を肌で感じながら、
曲輪群や破城の名残を自分の目で見たかったのです。
・・・が!大雪で通行ストップー!!
まだまだ麓でこの状態、車を乗り捨てたところで到底ムリ、と判断して敗走しました。
資料館で縄張図や資料を見て、遠景を拝むだけの切ない思い出になりました。
いろいろ資料をくださった、親切な資料館の方に感謝。
距離感は掴めたし場所はバッチリなので、読み込んでいつかリトライです。
で、サクッと行ける防巳尾城へ立ち寄り。
ものすごーく遺構が残っているわけでも名所化しているわけでもなく
誰もいない自然公園&ちょこっと展望台ですが、
湖山池に突き出た半島であること、二俣に分断した縄張りは感じ取れるわけで、
なんというかこういう遺構が当たり前のようにあるというのは東京人からすると羨ましいです。
堀切もちょっと残っていました。
鳥取城方面がよく見える、なかなかいい立地の城なのではないでしょうか。
ところで・・・雨によって波打ったような地面になるのはなぜ?
ちなみに鳥取城の戦いで籠城戦の舞台となったこの城、
秀吉の千成瓢箪の馬印を奪った、という逸話があるそうです。
もちろん、その逸話を感じ取れる材料はここにはありませんが。
さらにちょこっと時間があったので、ベタに鳥取砂丘へも。
輝くキャメルの、幻想的なさざ波…なイメージでしたが、
前日&早朝の雨で全体的にしっとりしてました。
【WORK】連載<秘密のケンミン城>がスタート

アスキーメディアワークスさんから発売の人気歴史雑誌【歴史魂】で、
連載をさせていただくことになりました。
タイトルは<秘密のケンミン城>!
毎号1つの都道府県をフューチャーし、名城BEST5をランキング。
その秘密と魅力に迫り、県民性を勝手に暴きます。
そのほか、「ここがヘンだよ○○城」「秘密のケンミン武将」「知られざる名城・迷城」
「特選城みやげ」「ご当地キャラ図鑑」…など盛りだくさん。
チャラ男な足軽と楽しく学べるお城入門コーナーもありますよ。
連載第1回目は<岐阜県>。
私が岐阜の城&岐阜の旅を通して独断と偏見で推察する、岐阜県民とは…?
道行く岐阜県民に刺し殺されないか、今後の身の上が心配ですが、
楽しい企画になっているので、ぜひぜひご覧ください♪
城=町であり、国。
城という国の中枢をみれば、その国の特徴も弱点もわかってきます。
城主や藩主はもちろん、領民や職人の思想や人柄もおのずと反映されてくるものです。
また、その逆もいえます。
城や歴史の話は、“過去の出来事”“過去の建物”と切り話して考えがちですが、
おもしろいほど現代につながっている、ということをライトにお伝えできればな、と思っています。
高天神城&諏訪原城
駿河・遠江・三河(現在の静岡県)というのは、
今川、武田、徳川が長きに渡って奪い合った地。
高天神城&諏訪原城も、武田VS.徳川が血で血を洗うような激しい争奪戦を繰り広げた、代表的な城です。
高天神城をめぐる攻防は、
奪い合いの末に二大勢力が大激突し、
玉砕した武田家が滅亡へのカウントダウンを切る、という
戦国ファンにはたまらない、手に汗握る歴史的ストーリーがあります。
そんなドラマチックな激戦地でもあることもありますが、
遺構としてもかなり見どころがある人気の山城です。
しかし、霊感はまったくない私ではありますが、
700人超が戦死した山城は、さすがに感じるものがありました。
遊歩道と、井戸曲輪から的場曲輪をつなぐ道が、通行禁止になっていました。
搦手門から本丸・御前曲輪・三の丸には行けず、追手門からしか登れません。
(逆に、追手門からは二ノ丸・馬場平には行けません)
近々行く方はご注意を。
見た感じ、遊歩道は整備の兆しはなさそうでした。なんとか復活していただきたいですね。
個人的には、諏訪原城の堀に心踊らされました。
大規模な空堀と水堀のオンパレードではありませんか!
まるで軽快なステップで走りまわるアルプスの少女ハイジのように、
山中を駆け回ってしまいましたよ。
私のお気に入りは9号堀。いや、6号堀、12号堀もいいな(笑)
壁立という絶壁もダイナミック過ぎ。
よくまあ、400年も崩れずに残っているもんです。
発掘調査は進行中でした。
丸馬出しなどの特徴から武田の城と言われてきましたが、
現在残っている遺構はかなり徳川の改修がされている、という専門家の見解があるそうです。
このあたりは今後が楽しみですね。
たくさん写真を撮りましたが、ここまで数を絞っても、華がありませんね。
見栄え重視で、一応景色の写真など盛り込んでみましたが(笑)
山城好きな人でなければ、「なんじゃ、このネイチャーな写真は?」という感じでしょうか。
お城のレビューは改めて。
魔除けの逆柱
久能山東照宮にある「魔除けの逆柱」。
葵の御紋がひとつだけ逆さまになっているのがわかるでしょうか?
これは間違えてしまったのではなく、わざと。
<建物は完成と同時に崩壊が始まる>という伝承を逆手にとって、
わざと未完成の状態にすることで、災いを避けようとするもの。
日光東照宮の陽明門にも、この逆柱がありますね。
何事も完璧すぎるのはよくない、ということでしょうか。
こういうところに、日本人の奥ゆかしさを感じたりします。
久能山東照宮
中井均先生もオススメの静岡の名城、丸子城へ!
しかし、アクシデントにより断念。久能山東照宮へ行ってきました。
久能山東照宮は、徳川家康の墓所ですが、
その前は久能寺山城という城だったことはあまり知られていません。
築城したのは武田信玄。
1568年、要害の地と知った信玄が砦を築き城とし、武田家滅亡後に徳川家の所領になりました。
久能山東照宮を城という観点から見るのも、とてもおもしろい。
2つの時代が見事に混在していて、山城時代の名残を発見できたりします。
7世紀に久能寺として開かれ、城となり、墓所となる。
時代の変遷とともに姿を変えた場所であることがわかります。
久能寺山城時代の縄張図によると、
現在のロープウェイ乗降所が二ノ丸、社殿や神廟のある場所が本丸、ということになります。
「素晴らしい場所だから、俺が死んだらここに埋めてくれ」という家康の遺言により、
ここに埋葬され、その際に2代秀忠が造営したのが、現在の東照宮です。
(1年後にはこれまた遺言により日光東照宮造営。遺骸も移されている…とされる)
社殿、拝殿、その2つをつなぐ石の間を持つ、日本最初の権現造。
全国の東照宮のお手本ということと、400年の現存度合いが認められ、国宝に指定されています。
こちらが神廟。
うむ、なかなか格調高い石の加工ですよ(笑)!
ちゃんと桝形になっているあたり、特別感がありますね。とりまく空気も変わります。
しかしなぜ、家康が久能山に葬ることを遺言したのかは謎ですねぇ。
地図上で見ると、久能山東照宮、富士山頂、日光東照宮が直線で結ばれることから
「富士山を越したことで不死(富士)となり、
江戸城と北極星を結ぶ直線上にある日光で、江戸の守護神になる」という説もありますが、
地図がない時代に果たしてそんなことを考えることはできたのでしょうか。。。
平成19年に移設されたというス添石垣。
元和3年(1617)に築かれ、崩落防止のために天保4年(1833)に二重にされたという、廟所の石垣。
場所も異なり、切ないくらい現代風になっていますが、遺構を伝えてくれるのはありがたいことです。
本来の場所は、神廟の向かって左手、階段を上がってすぐのあたりだそうです。
当たり前ですが、葵の御紋だらけです。
熱狂的な徳川ファンにはたまりませんね。そんな人がいるのかは知りませんが。
寒桜&梅、美し。
水はけのよさに感動。城地としての優良度が証明されています。
2時間前まで雨が降っていたのに、この乾き具合はすごい。
鳥山雄司/Chara ~Sweet & Tender~
東京文化会館小ホールで開催された【ポピュラーウィーク2012】へ。
【鳥山雄司/Chara ~Sweet & Tender~】に行ってきました。
普段はクラシック専用という格調高いホールでの、
ビルボード以来になる、鳥山雄司さんとのコラボレーション。
バンドネオン、ウッドベース、ピアノ、ギターだけの、
マイクもいらない狭い空間での、一夜限りのスペシャルナイトでした。
Over the Rainbow、So Faraway、恋は水色、I can sing a rainbowなどをカバー。
Langeの花の歌は、なんとオリジナルを歌詞をつけて!
Sweetとは、このことをいう。
とくに、テネシーワルツが本当にステキすぎて忘れられません。。
音楽って、特別な世界を浮遊する「心の旅」なんだな、と思いました。
違う土地に立って、目や鼻、肌を使う「体の旅」とは違う、
想像力やある種の解放感が研ぎ澄まされる感じ。
ギターはもちろんですが、ウッドベースも心地よく、
浮遊しているかのような夢見心地の時間でした。
初めての音色、バンドネオンにもうっとり。
斬新と懐古、鋭さと繊細さ、かわいさと色気が混在するような音色ですね。
シンプルこそプロなのだと、心から酔いしれた夜なのでした。
鳥山雄司/Chara ~Sweet & Tender~
vocal,piano:Chara
guitar:鳥山雄司
woodbase:鳥越啓介
bandoneon:早川純
ぐるっと九州城めぐり2012
ちょいお仕事も兼ねて、九州のお城めぐりへ。
いやいや、岡城はやはり素晴らしかった!!
地方の城下町を歩いていると、中高生の男子によく挨拶をされます。
東京出身の私にとっては、これが新鮮で衝撃的で、心地よかったりします。
突然知らない人に挨拶され、驚いてちゃんと返せない私は、
“冷たい都会人”なのだと気づかされたりもします。
坊主頭にジャージのソボクな風貌だけれど、
人の目を見て、ちゃんと腹から声を出して挨拶する中高生、
都会の年齢不詳な中高生なんかより、よっぽどカッコいいぞ!
10年後、東京に出てきてもびっくりせず、
そしてそのスピリットを東京の若者に伝えて欲しいなあ、と思います。
街割がそのまま残る宮崎県の飫肥城下町、とくに素晴らしい場所でした。
関係ないですが、人吉城の旅館の朝食でいただいたヨーグルト
「球磨の恵みヨーグルト」のおいしさが忘れられません。。
球磨焼酎以外に、こんなにおいしいモノがあったとは・・・!
お城レビューは改めて。。。
PENTAX K-5、購入!
1年以上も悩み踏みとどまり、ようやくデジタル一眼レフを購入しましたー!うぉー!
「あれ?持ってなかったっけ?」と複数人から言われましたが、デジタルは初なのです。
もっとダイナミックに、立体感に満ちた城の姿をそのまま収めたい。
数百年の時がつくり上げた重厚感のあるテクスチャーを表現したい。
そうは思いつつも、足場の悪い山城での使用を想定すると、デジイチは重さと大きさがネック。
そのためハイスペックコンデジを愛用していたのですが・・・欲というものはどんどん出てくるものですね。
長いこと迷っていたわりには無知すぎてわからないので、友人に相談。
レンズも友人のオススメに従い購入しました。ありがとうー。自分で考える気、ゼロ。
それにしても、カッコよい!!
難しいけれど、楽しそうです。写真っていいよね。
徳川将軍家墓所特別公開
「ふりかえり城メグ日記/2012年1~2月」その5。
徳川将軍家墓所が期間限定で公開されていた、増上寺へ行ってきました。
増上寺は上野の寛永寺と並ぶ、徳川将軍家の菩提寺。
将軍のお墓が芝浦にあること、意外と知られていないんですよね。
2代秀忠、5代将軍兄弟の綱重、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍のほか、
秀忠夫人崇源院(江)、家宣夫人天英院、家斉夫人広大院、家定夫人天親院、家茂夫人静寛院、
桂昌院、月光院などの側室も埋葬されています。
将軍のお墓をblogにアップするのもなんなので、門&遠巻きに。おみやげもいただいた。
265年の江戸時代があったから、今の東京があるんですよね。
徳川将軍家が頑張っていなかったら、こんなに平和で栄えた都市にはなっていませんよ。
徳川家康が江戸城を大改修する前は、江戸はどうしようもない湿地だったのですから。
なんだかちょっと、徳川家に感謝。
お地蔵さんがいっぱいいました。
ロンパースをまとったり、手編みのニット帽をかぶったりと、よーく見ると個性的。
中には、パーカーを着こなすストリート系も!
三陸オイスターライフ
「ふりかえり城メグ日記/2012年1~2月」その4。
収穫できるようになったら海産物をお送りします、という一口オーナー制度を設けていた
宮城県塩竈市の「うらと海の子再生プロジェクト」さんから、剥き牡蠣&海苔が届きましたー。
いつお送りできるかわかりません、という状態から、こんなに早く。
昨年11月には牡蠣祭りも開催されたようで、HPから見て取れる漁師さん達の心意気には脱帽です。
いろいろ堪能しました。
牡蠣の揚げ出し風みぞれ椀、牡蠣のトマトバジルパスタ、オイスターチャウダーのポットパイ。牡蠣のオイルマリネ。
このほか、土鍋牡蠣めし、カキフライ、牡蠣鍋など。
「飽きないの?」と聞かれるほどのオイスター漬けの毎日でした。飽きません。
牡蠣のオイルマリネは好評でしたな。
お酒にマッチするように、ちとスパイシーに味付けするのがポイント。
い〜い感じに熟成されるまでガマンが大切です。

























































































































































































